独創人インタビュー
第2回 浅島誠先生

Japan Treasure Summit(JTS)は、 学術芸術が果たす役割を世に問い、学術芸術のすばらしさを発信するとともに 日本社会に合った寄付文化・社会的投資文化の形を提案することで 学術芸術活動を社会全体が支える風土を醸成していきたいと考えています。
JTSでは、学術芸術界のトップリーダーである独創人のご経験を伺いながら 日本社会に合った寄付文化・社会的投資文化の形を模索していきます
<JTS事務局(JTS)>
寄付により実現・加速した研究成果、活動等の事例を教えてください。
<浅島誠先生(浅島)>
予算も研究設備もなかった頃、冷蔵庫は電機店から、飼育槽は風呂桶店から中古品を分けて頂くなど、無償で頂戴したものを使って、研究室を作り上げました。たとえ先方にとっては廃棄物だったとしても、僕にとっては宝物のようなものでした。その寄付のおかげで、研究がスタートできたのですから、僕にとってはとても大きなことでした。
大学生だった頃に話は遡るのですが、徹夜続きの実験で、タンパクを図るための分光高度計の石英セルをうっかり壊してしまったことがあるのです。石英セルは1個2~3万円もする高価なものですので、4本となると学生である僕にとっては、大変な金額です。しかも、注文しても納品までに数日かかりますので、サンプルを測定しようとしている先輩方皆に迷惑がかかってしまいますから、壊してしまったときは、心臓が飛び出るような思いでした。
迷惑だけはかけたくないという思いから、なんとか揃えようと、すぐに製造元のところへ行ってみました。不注意で壊してしまったのだが、なんとか4本揃えたいと相談し、お金がない旨も話してみました。当時、手持ちで持っていたお金は1万円。10万円なんてとても払える金額ではありません。すると、「そんなに困っているのか?だったら何とかしてあげるよ。」と言いながら、石英セルを4本揃えてくださったのです。「あとで支払いに参ります」と申し出たところ、「いいよ。研究者は、だいたい壊すものだから、気にしなくても大丈夫だよ。これは商品在庫ではなくて、少し傷ものとして残っているものだから。」と言ってくださいました。そのとき、こんな良い人がいるのかと感激したものです。もちろん、すぐに、先輩には、壊してしまったが、日製産業さん(現在の日立ハイテクノロジーズ)のおかげで揃えることができ、分光高度計でも狂いなく測定できる旨を報告しましたよ。そんな風に、皆に支えられながら研究を行ってきたわけで、自分ひとりではとても出来ないのですよ。実験なんて、行っていれば、失敗もあって当然のことです。これが、僕の研究の失敗の原点のようなものなので、その時に壊れた石英セルは、今でも持っています。
また、定年退官のときのことですが、通常は、定年退官すると、大学を去らなくてはなりません。ある大手の製薬会社さんにお会いした際に、「先生、今後も研究はなさるのですか?」と聞かれ、「あと5年くらい続けたいのだが」と申し上げたところ、「上司に話してみます」と言って、寄付講座を作ってくださったのです。定年間際でも、やり残していたことが結構あったのですよね。全部空にしようと思っても出来ないのです。この寄付講座のおかげで、研究が続けられ大きな成果をあげることができました。本当に有難かったですね。我々研究者は、寄付があることによって自分の研究ができます。挫折を乗り越えられたのも寄付のおかげでした。
最後に、これは、寄付というものではありませんが、昔、アメリカのインディアナ大学に行った際に、ロバート・ブリックス教授に会うことができました。ブリックス教授とトーマス・キング教授は、世界で初めて、体細胞の分化した核を未受精卵に入れて核移植に成功した偉大な研究者なのですが、ブリックス教授とお会いした際に、彼の貴重な著書と移植針をおく台を一式いただきました。また、ドイツのティーデマン先生より、ノーベル賞受賞学者であるシュペーマンの培養滅菌器具をいただきました。そういったものは、僕にとっては、宝物であり、芸術品なのです。
<JTS事務局>
社会全体で支えるべき学術・芸術活動にとして、今後、更に発展が期待できる研究分野、 プロジェクトに関してお聞かせください。
<浅島>
新エネルギーをどう作ってゆくのか。エネルギーを化石燃料だけから作るのではなくて、太陽光とか自然の摂理のなかでやるべきであって、人間が制御できないものや劣化して安全性が確保されないものを利用してはならないと思っています。原子力が悪いと言っているのではなくて、科学技術に基づいた、制御でき、かつ安全性が確保できる範囲で用いるべきであって、どこまでが安全であるのか、またその危険性に関しても国民も知る権利があるし、きちんと情報公開するようなシステムを考えた方が良いと思います。
期待できる芸術活動に関して言えば、日本独自の文化を見つめ直すことだと思います。田舎の家の寝室には、唐紙の仕切り戸があり、そこには漢詩が書かれていて、畳が敷かれています。また、仏間にはお釈迦様の絵があって、職人芸により金箔の施された仏壇がある。槍の間には槍が掛けられていました。田舎の家は、それが当たり前だと思っていました。芸術は、生活のなかにもありましたし、祭りや婚礼も、ある意味芸術文化なのですよね。祖父や兄は、能、尺八、謡いなど、日本古来の芸術を嗜んでおりました。今思えば、田舎では、芸術のなかで暮らしていたようなものだと思います。しかし、東京のような都会に住んでいると、なんて味気ないのだろうと感じてしまうのです。
「侘寂」とか「和敬清寂」といった言葉は、ものすごく大切だと思うのです。例えば、都会にいれば建長寺に行って、5日間くらい、座禅を組み、一汁一菜の食生活を送り、いかに現代が肥満文化であるかを体験し、原点に戻って考えるといったプロジェクトがあっても良いのではないでしょうか。日本独自の文化を見つめ直すことが、現代の人間の新しい発見に繋がるのではないかと、私は思います。
<JTS事務局>
社会全体で支えるべき学術・芸術活動にとして、逆に今後、衰退・消滅が危惧される 研究分野、プロジェクトに関してお聞かせください。
<浅島>
沢山ありますが、我々の分野に関して言えば、基礎生物の最も要となる「分類学」です。生物の多様性を扱う分類を行う人がいなくなり、今はモデル生物を主体とした研究になってきているのです。モデル生物のようなものではなく、本物を見て、新種であるのか、そうでないのかを判断でき、生物全体の面白さや不思議さを、体系的に見ることができる人がほとんどおらず、分類学は、衰退というよりも、ほぼ消滅してしまっています。皆、自分の専門がどんどん狭くなってきていますから。
医学に関しても、「解剖学」「生理学」「病理学」といった最も基礎となる分野の衰退が危惧されています。解剖学でも、今は人工的に作られた人体をモデル化して、本物に触れないのです。そんな風に、本物に触れる機会がどんどん少なくなってきている。
基礎分野というものや、お金にならない分野がだんだん衰退し、重要な分野や知識が無くなったり、衰退してきているということは事実なのです。
これは、芸術でも同じですよね。ピカソにしても、後期は凡人には一見、理解のできないような作品を描いていますが、その作品を良く見るとすごいなと思うのです。それは、やはり基礎がしっかりしているからです。また、皆さんゲーテは詩人だと思っていらっしゃるかも知れませんが、動物学者でもあり、植物学者でもあるのです。ゲーテの描いたスケッチなんて、写真と同じくらい精密です。動物の頭骨のスケッチを3次元にしてみると、ぴったり合うのです。バラの絵も描いていますが、拡大してみると葉脈一本一本までちゃんと描いているのです。つまり、ゲーテは、見えないところまで見ているのです。
現代では、皆、出来上がったものしか見ない。そして、見えていても見えない。見えないものまで見てゆく眼力が無いのです。花盛りのところへ進んでゆくが、実際は足元がぐらついている。それは、基礎的な部分が欠如しているからです。
日本の心というものは、昔はもっと豊かだったと思うのです。衰退が危惧されているのは、本質的にいえば、日本文化ですね。経済第一に優先するのではなく、そうではない、何かがあっても良いのではないでしょうか。プロジェクトで衰退しているものはいくらでもあります。
日本は、もともと、「ものづくりの国」だったのですが、ものづくりのプロジェクトは、どんどん国外に出て行ってしまいました。一緒に支え合いながら、ものづくりを行うという姿勢も日本の伝統美だと思うのですが、これも衰退しているのではないかと思います。公式の砲丸投げの玉は、日本で作られているのですよ。1000分の1ミリまでも狂わないようなものをつくるとか、そんな職人技を評価する社会でなければなりません。東大寺だって、あんなに大きな木造建築を、あの時代に造ったということは、ものすごい技術であり、五重の塔も同様ですが、地震があっても倒れないのです。こういった技術が本当に伝承されているかというと、充分に生かされていないと思うのです。
コンクリート建築は、火災に対しては安全なのですが、木の香りや草の香り、あるいは、土の香りがしなくてはダメなのではと思うのです。こういった場所では、香るとしたらホルムアルデヒドや合成樹脂の臭いであって、空調を使うことで外の空気をシャットダウンしていますね。ヨーロッパは、土からできるレンガ造りの建物に暮らし、ベランダの花が窓から香り、自然と調和しながら生活するという文化ですが、日本は最近、極端に密閉社会になって、空調がきいていて、グランドへ行けば、人工芝生が植えてあり、若い世代で土を一度も踏んだことがないという人もいます。
<JTS事務局>
学術・芸術活動への寄付のあり方に関して、浅島先生のお考えをお聞かせください。
<浅島>
今の時代は、情報過多なのです。例えば、フェルメールの絵を観るため、美術館まで足を運び、じっくりと観るのではなく、インターネットを用いて画像の検索ができてしまう。見たいものはインターネット検索でなんでも見ることができます。つまり、ネット社会と本物の社会があり、価値あるものや本物への敬意をはらう機会が少なくなってきていると思うのです。本物に触れ、身震いをするような感動を覚えたとき、人はその文化を守り、更に発展させ、世の中に広めたいと思う時に、一般に人は寄付すると思うのです。また、自分の力だけで生きているのではなく、人に支えられ、助けられて生きていると思えば、その恩返しと社会への貢献に役立ちたいと寄付もしたくなります。
この年齢になって、最近思うのは、若い人に元気がでるのなら、寄付したいと思う。若い人は、自分の生活で精一杯じゃないですか。努力に努力を重ね、演奏活動を続けている芸術家は沢山いるのですが、そういう人たちが全然報われないのですよ。社会がサポートしてあげて、お互いが心豊かになれるようなことをしないと、ダメだと思っています。学術なり、芸術なり、素晴らしいものに対して寄付をして、できるだけ、次の創造に向けて、活力がでるよう、人を育て、文化を育てるということが、やはり寄付のあり方だと思います。
