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インタビュー野村四郎

独創人インタビュー

第7回  野村四郎先生

野村四郎

Japan Treasure Summit(JTS)は、 学術芸術が果たす役割を世に問い、学術芸術のすばらしさを発信するとともに 日本社会に合った寄付文化・社会的投資文化の形を提案することで 学術芸術活動を社会全体が支える風土を醸成していきたいと考えています。

JTSでは、学術芸術界のトップリーダーである独創人のご経験を伺いながら 日本社会に合った寄付文化・社会的投資文化の形を模索していきます。


<JTS事務局(JTS)>

寄付により実現した芸術活動等の事例を教えてください。

<野村四郎先生(野村)>

寄付とは少し異なりますが、文部科学省、文化庁からの助成による活動があります。現在、「一般社団法人日本能楽会」という団体の会長を務めておりますが、文化財保護法に基づき、重要無形文化財「能楽」の技能保持者として認定された能楽師により構成されているこの団体では、国からの助成金を毎年頂戴し、各地で公演活動を行っております。

歴史的にも、江戸時代であれば江戸幕府が日本の芸能を支え、ヨーロッパの音楽家たちはパトロンという後援者に支えられて成長してきました。しかしながら、今日は危機的な状況にあり、その危機を我々がいかに認識して啓蒙してゆくかが大切だと思っております。昔、特に戦後は、企業からのご支援により公演活動を行う機会も多々ありましたが、現在の世の中では寄付をお願いしても、なかなか難しい状況にありますので、個々のお力を頂戴し、なるべく安価なチケットに仕立てながらも内容は充実させて、我々自身が券売に走るというのが、正直な現状です。そういう状況のなかにあればあるほど、我々はいかにあるべきかを模索しなくてはならないと、常々考えています。

<JTS事務局>

社会全体で支えるべき芸術活動として、今後、更に発展が期待できることや、 逆に今後、衰退・消滅が危惧されることについてお聞かせください。

<野村>

いわゆる西洋的な文化が発展し、日本の魂である日本の芸能が地盤沈下していますので、それを発展させてゆかなくてはなりません。能は、室町時代に始まり、安穏と続いているのではなく、幾つもの危機を乗り越えてきました。時の権勢者が変われば贔屓の役者も変わるわけで、これはもう無残なものです。室町時代、皆さまご存知の世阿弥は、足利義満の特別な庇護を受けましたが、将軍が代わり、足利義教の時代には、その地位を奪われ、佐渡に流されました。権勢者が代わる度に改革され、そういった歴史を6百数十年も乗り越えてきたのです。

明治時代には、岩倉具視が欧米視察から戻った後、外国の賓客を迎える際に日本独自の芸能をお見せして歓待しようと、能楽を振興し、それを機にバラバラになっていた能役者が江戸ならぬ東京へ集まり、天覧能を催しました。明治天皇の行幸を仰いで、天覧能を催したのが明治の復興のはじまりですね。長い歴史のなかには、竹の節のように幾つもの節目があり、その節目ごとに改革が行われてきました。

伝統や継承という言葉がありますが、芸の継承と時代時代の価値観は、無縁ではありません。その時代の価値観とずれていたら、生き残ることはできないと思います。戦前と戦後では、価値観は大きく変化したわけですから、芸能が生きながらえてゆくには、やはり改革が必要だと思うのです。今まで無関心でいた人たちの興味を引き、こちらへ向かせるというのは、言葉では容易いですが大変なことです。

野村四郎

(2013年4月 - 東京藝術大学にて)

では、能の魅力をどのようにアピールしてゆくべきでしょうか。現代では、様々な要素を取り入れ面白くするという芸能が流行っておりますが、能の場合は消去することで中身を濃くし、質を高めてゆきます。また、現代のTV文化のように、全てを分からせるというものではなく、能は、観客が想像して観るものであり、音楽や絵画と同様に、十人十色の観方や感じ方があり、演者により、その伝え方も変化します。「離見の見(りけんのけん)」という世阿弥の言葉がありますが、観客の立場から客観的に自分のやっていることの是非を考えなければならないという意味です。仲良しクラブのような芸ではなく、舞台の上で芸を行う人間が対立的な構造を成し、その対立構造が調和したとき、はじめてインパクトのある感動を観客に与えることができると私は考えます。観客の皆さまには、想像力を膨らませ、奥深い能の世界を楽しんでいただきたいと思います。

私は以前、「能は50年もたないのではないか」とあえて語ったことがあります。こういう沈んでいる時期だからこそ、皆が危機感を持ち、自身の状況や能の在り方について考える必要があるからです。世阿弥は現代に繋がる言葉をたくさん残しており、そのひとつに「是非初心不可忘」があります。舞台上の技にも言えることですが、能を発展させてゆくためにも一番大切なことです。善し悪しの判断を絶えず行い、自問自答することで苦難を乗り越えるエネルギーも生まれてくる。たしか、ベートーベンが「かくあるべきか。かくあるべし。」という言葉を残したと言われていますが、これも自問自答です。ベートーベンも相当苦悩して作曲活動を行い、自問自答していたのではないでしょうか。

社会で支えると言う観点では、子供の教育が大切だと思います。先日、港区の(公財)キスポート財団より依頼を受け、保育所で謡を教える機会をいただきましたが、学校教育のなかで日本の伝統芸能に出会い、その子供がいずれ成人し、再び日本の伝統芸能に出会ったときに魂が揺れ動く。それが振り向いてもらうチャンスなのです。「和魂洋才(わこんようさい)」という明治時代の言葉がありますが、日本の西洋化が進むなか、和の魂をいかに失わないで残してゆくか。そのためには、子供の教育が必要です。幼稚園、小学校、中学校など、まだ意識が固まっていない、自由になんでも受け入れられる状態のときにいろんなものを吸収し、その中のひとつとして、和の魂を学び、どこかで感じておいて欲しいと思います。いつの日か、成長したときに芽吹いてくるという、長いスパンで考えていかないと、なかなか事は進まないと思います。

日本の伝統藝術を後世にいかに発展させ、伝えてゆくか。現在は危機的な状況にありますが、仏教的な感覚でいうと、政治的にもいろんな意味で末世的な時代ではないでしょうか。「歌舞音曲(かぶおんぎょく)」という言葉がありますが、「音曲(おんぎょく)」は癒しの源です。弥勒菩薩が出現して人の心を和らげてくれるように、「言魂(ことだま)」で世の人たちを癒してゆく、和の魂を伝えてゆきたいと思っております。

<JTS事務局>

芸術活動への寄付のあり方に関して、野村先生のお考えをお聞かせください。

<野村>

邦楽の分野では、震災復興のため、皆で資金を集めて支援を行うなど様々な活動を行っています。価値観の異なる人たちが集まる団体ではなかなか難しいことと思いますが、「学術と芸術」という大きなタイトルのもと、社会に寄与しようという精神で集まれば、ゆるぎない団結力が生まれることと思います。ひとつの大きなテーゼがあり、その目的が明確であれば、是非とも協力したいという賛同が得られるのではないでしょうか。

私たちの財産、芸術は技術であり、つまり、人間が財産です。これは学術においても同様だと思いますが、結局人間が財産ですので、人間をいかに使い、世の中に寄与することができるかが重要です。私は、常々「日本能楽会にはお金はありませんが、人間が財産です。」と語っています。国から指定された人間が約450名在籍しておりますので、この無形の力を結集して社会に役立ちたいと、理事会でも話しております。

新たに国が制定する記念日として、11月1日が「古典の日」となりました。そこで、古典や伝統の意味について考えてみると、「伝統」とは、過去・現在・未来を繋げてゆくものだと思うのです。背中に過去の重い荷物を背負う現在があり、そして未来に向かって一歩ずつ踏みしめて進んでゆくことが伝統であり、進んでゆくためには、柔軟な思考が必要です。古くより「天地人の三才」という言葉がありますが、才は区分という意味であり、天・地・人の3つに区分されるということです。天と地を踏まえて、人間としていかに進んでゆくのかと考え、未来を切り開いてゆくことが重要です。

天地、東西、南北、善悪など、日本人は、対立する2局のものをひとつのものとして捉えるという相対的な考え方をしますが、これは日本人の文化だと思います。偶数よりも奇数を好むという奇数文化も日本人特有のものであり、芸能にもいろんな意味で影響を与えています。表裏一体という言葉がありますが、能においても相対するものを常に意識します。例えば、能はもともと屋外で演じられており、自然の空気と演技が一体化するものでしたので、太陽が東から昇り真上に来ているときには声は低くし、西へ太陽が沈んでゆくと、声を高くしてゆくという慣例がありました。中国から渡ってきた文化と日本人特有の考え方がうまい具合に融合したものが、日本の芸能には沢山残っています。うわべばかりを捉えるよりももっと掘り下げてゆけば、多くの発見があるのではないでしょうか。

人間が財産と申し上げましたが、人間の付加価値を高めるためには、いろんなものに触れて体験することが重要です。本業である自身の仕事だけではなく、それこそ、いろんな雑菌が入っても、抗体ができて更に強くなれます。例えば、「尺八の音色っていいなあ。あんなに心にしみるものはないなあ。」と感じる機会があれば、その感性が滋養となり、自身の能という仕事に自然に顕れてきます。技術を磨くことも重要ですが、我々にとって一番重要なのは人生経験であり、その経験が舞台に顕れるのです。若い人は若い人の芸であり、70過ぎた人には70年間の体験が体の中に蓄積され、舞台に顕れます。よって、最終的に、芸というものは、人となりです。いつも頭の中で順序立てて考えているばかりでなく、瞬間にひらめくものとか、発想といったものが、芸術の重要な要素であり、その発想や閃きは多くの体験により培われます。アインシュタインではないけれど、思いついたら実験しなくてはなりませんね。思考したら試してみるという、思考実験を怠っては、芸の成就は無いと考えても良いのではないでしょうか。

これからも様々なものに触れ、蓄積した多くの体験を舞台に生かし、能役者として日本の伝統芸能の発展に努めてゆきたいと考えています。また、自分が活動することで、寄付文化の醸成に貢献できるのであれば、それは大変嬉しいことです。

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